この10年ぐらいで日本、ちょっとおかしいな…と思うところは、
しょうもないことをきっちり守ることに力を入れすぎ。
当たり前のことをきちんとする、というよりは、
誰にでも突っ込めるようなバカみたいなことだけは青筋立てて守る
そのくせ、意外なところでだらしなかったりするんだよな。
根源的でできていないといけないこととは関係なく、
他人につっこまれないようにするだけ、という向きがあるような感じ。
(そのくせ、こういうのに限って
エラソウなんだなこれが…)
クレーム社会になったってこと???
誰でも文句の言えることに、鬼の首を取ったように文句をつける。
いつぞやの首相の漢字の間違いの話を取り上げたのは、
時代の波の悪用なのかね。
個性の時代…とは言い難い
各個人の個性が出るようになった、なんて言っているけれども、
情報の幅が広がって、みんなが通る細かな轍の違いが網羅されただけで、
オリジナリティという意味での個性ではないようだ。
補足: 別にこの時代だけを貶している訳じゃない
こういう時代の波って、いつの間にか周りを取り巻いているし、
みんなが何となく肯定するからタチが悪い。
集団でバカになる感じがする。
1990年か少し前は、みんなが同じ方向を向いている、小難しいのはダメ、
バカにならないと、みたいなのが肯定されていた。
いつのまにかそのバカに気がつくんだけれども、
また別のバカにはまりこむのよな。
気がついている人は沢山いると思うけれども、
気がついているとしんどい。
気がついていることを悟られるのは、またまた面倒くさい。
時代のおかしさにどう対応するか???
単に、のっしのっしと象のように歩くだけですよ。
悠然と前進。
変に時代にくってかかったりせずに、平然と自由に泳ぐだけ。
世の中大きいように見えるけれども、
自分に対して大きい存在と捉えなければなんということもないのでねぇ。
余談: 世の中なんて大したこと無い、という話のついで。
老荘思想、こんな実存的な考え方を、中華圏では絵本や漫画で学ぶとか。昔話、おとぎ話の代わりに説話を吸収しているというのは面白いと思う。
論語・大学・中庸・老子・荘子などなどについては、台湾の漫画家、蔡志忠の作品で読めたりする。講談社+α 他からいくつか出ている。かなりのお勧め。すくなくとも手垢が付くぐらいは読める良書。もっと読みたくなったら講談社学術文庫を当たってみてください。
悪い意味で、社会的な自分=他人から見た自分、が肥大しているのかね。
社会的でない→ワガママ、という馬鹿げた考え方なのか?????