【知識論】【言語技術】【教育】分かりやすさこそが至高、は視野狭窄。

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分かりやすい**

 

こんなものが溢れかえっているのは、

情報の受け手の方が大勢を占めているため。

次に多いのが、解説者であるため。

 

別に分かりやすさを否定しているのではない。

知識・情報・表現の評価は、易しさだけではない、という話。

 

ともかく、

 

新たな知識を生み出す者の視点が足りない。

 

視野狭窄の原因1: 情報の種類が分かっていない。

視野狭窄の原因2: 情報・知識を扱う訓練、考えることについての認識不足。

情報の分類を見れば、易しさが至上命題でないことは明白

・一次情報: 観測データなど、生データ

・二次情報: 論文など、一次・二次情報からできたもの

・三次情報: 解説・まとめ

#分け方はいろいろとある。

 

基本的に、

 

二次情報までは、知識の探索・発見や組立を行うと考えてよい。

・分かりにくい、まとまっていない、どこにあるか分かりづらい。

#情報・知識を作る側は、分かりやすさのところまで懇切丁寧にやっている状態にはないのです。

#情報・知識を作り出し、かき集め、まとめ上げるということを繰り返すという作業もあるのです。

 

三次情報は、広く早く伝播させる役割を担う。

・分かりやすく作るべき、まとめるべき、利用しやすいようにするべし。

・注意: 分かりやすさのために生じる過ち・端折りがあることに留意。

 

お口にまで「あーん」と運んでもらえるものだけが情報・知識だと思うのは、

情報・知識の受け手であり続けているから。

 

分かりやすく表現しさえすればいいのだと思うのは

一つには、すでにある知識や情報をまとめあげているだけだから。

 

自分で考えるような生徒・学生にするには

 

自分で学び、考え、何かを作り出すためには、何をしなければならないのか。

思考とは、(様々な形で、広い意味で) 情報・知識を生み出す行動。

#例: 情報を探しだす、まとめを作る、解説を作る、例を作る、分類をつくる、寒天を作る…

 

その中に、分かりやすくする能力もまれる。

 

よって、分かりやすいものを口に運んでいるだけでは、

少なくとも、十全に考えられるようになるのは期待できない。

 

  • 分かりにくいものを扱い、
  • 断片情報を扱い、
  • 情報や知識の在り処を知り、
  • 探索の方法を知り、
  • 知識の扱い方についての知識、の扱いについての知識……を得る。

 

これらは、十全に考えられるようになるためには必須の事項だ。

#十分条件ではない。ただの必要条件。

 

考えることができるようになるためには、

情報・知識を扱う難しさに触れなければならない。

ここの認識が不足しては、上手くいかない。

 

これらを鍛えるためには、

分かりやすさだけではどうしようもない

ということは明白だ。

#どんなに易しく講義・実習を組んだとしても、実地では荒波に揉まれる。

#それに耐えうる力をつけるためには、……。

 

#私見では、自分で噛み砕く能力は、どちらかというと、

#情報・知識を生み出す中では簡単な部類に入るのではないかと思う。

#そんな所でこけているようでは困る。

 

postscript: 難しい = 苦痛 とは限りませんよ??

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