余計なこだわりを仕事で持っているとじゃまになる。これは大部分の人が分かっていることですな。
商品やサービスを改善したり付加価値をつけたりして、差別化を図る。高い品質や完成度を持っていなければならない。というのは現在の日本教の教義みたいなものだけれども、最近巷で見るきっちりさ、綺麗さ、丁寧さは、はっきりいって必要な物じゃない。
人間は余計なことをしまくれるほどには、大きな存在ではない。人が求める核心の部分に目を向けて、余計な品質を落とすべき。今の日本人は高い品質が善と信じる。客の側はそれを要求し、働いているときにはそれを要求される。しかし必要ではない品質を要求しすぎて、お互いに首を絞めあっている。
安い賃金で長時間細かな作業をさせられている人を見て特にそれを思う。焼肉屋のバイトさんは肉を運ぶ度にうやうやしくお辞儀なんてしてくれなくてもいい。「ハラミ三人前っす」でいい。高級ホテルに来てるんじゃないんだからね(こっちまでお辞儀しないといけないしな)。何でもかんでもご丁寧でなくて結構。焼き肉堪能できたらそれでいい。最初と最後に威勢よく挨拶するぐらいでいいよ。挨拶過剰です。
しかしまったく、まるで昔の米ソの軍拡競争を見ているようだ。実際に必要な軍事力を超えて不要な兵器を作りまくり、米ソ両国の経済を疲弊させた。競争に敗北する恐怖が原因で取ってつけられたサービスの塊は、消費者にとってはなくても別に構わないムダの塊だ。客にとっては「綺麗な包装紙だねキレイだね~」ぐらいの価値しかない。だからどうした馬鹿野郎。肝心なことをやり給えよ。きっちり仕事をする人は本気で言う「必要なことをしている、正しいことをしている、こうしないと勝ち抜けないんだ」。けれどもこれは高い視点から見ると、恐怖の均衡合戦をやっているだけですよ。リソースの割り振り考えてやってますか? 滅びますよ??
私は日本人嫌い等等ではないけれども、外国人と比較すると日本人は、せっかちでキモが座っていなくて文句言いだと感じる。これらはプラスにも働き得るけれども、どうでもいい仕事を増やしている。お客様満足度向上なんかも、程々にしないと日本ごと滅びますよ。客の満足度を上げるのは成熟産業での常套手段ではあるけれども、際限なくやっていいかどうか考えましたかね? 仮に日本人の労力の合計の半分、1/3が客の目を引くこと、客をつなぎとめることに使われているとしたら、とんでもない浪費だと感じませんかね。
品質向上やサービス合戦などの全部がいらないとは言わない。必要性は分かっている。でも日本人の労力をどのように振り分けるか、リソース配分を考える時期に来ているのではないのかと思う。家電・テレビ業界が世界で苦戦したのは、その予兆ですかね。業界問わず同じようなことがたくさん見つかりますよこれから。大小問わずに。日本は過剰サービス、過剰品質の恐竜になって滅ぶんじゃないかな。このままでは。きっと。
余計な仕事をしない。肝心なことをする。この基本に日本人は立ち戻れるのだろうか? 肝心なことをさっさとやって、時間と心に余裕のある生活をすればいい。本当はやるべきだけど放置されてきたことに着手すればいい。オモシロイことを考えればいい。自分と他人が欲しがるモノをバカになって生み出せばいい。恐怖に怯えながら偉そうに改善合戦をしていても首の締めあいは終わらない。人間の首締めると死にますよ。知ってますよね?
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