学校の勉強は役に立たない (まあ逃げ口上ではあるよなこの台詞は)
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じゃあ、役に立つ勉強を自分でやればいい
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実用的なことを学ぶ
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(しばらくして…)
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まとまりがつかない、応用が効かない、何をしているのかわからない
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結局根本的なことが分かってなきゃ駄目じゃん
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あーなんだ昔の人は根本的なこと調べてるじゃんか
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学校の勉強(classics …古典的で定評のある学問的内容)に戻るか
学校の勉強は、こういうことを見据えた老婆心の賜物。
実際に役に立つことというのは、有象無象の大量の知識と経験を含むんだけれども、余りにも多すぎて、意図的に整理しないと往々にしてまとまりのない、統一的な視点を欠いたものになる。
#他人が寄ってたかって何千年も作り続けたもの(学問、知識、思想、技術 etc.)の「上澄み液」をすするのは、美味しいことのはずなんだけどねぇ。
#まあ役に立たないとすべき学校の勉強もあるわな。それはその人による。