「抽象的なもの苦手、数学分からない~」
というようなことを時々聞くけれども、誤解があるようだ。
実は、抽象的だから難しいのではない。
情報が少なすぎてイメージが湧かないだけだ。
抽象的なものは、単体では情報が少ない。
#トランプのルールブックを、プレイもせずにニヤニヤ見れる人は稀有。
どうやって分かるようになるかというと、
抽象的なものを大量に集めたり、経験を積んだりしていくうちに、
ある日、抽象的だった対象が、具象のように感じるようになるんだよな。
イメージが湧くまで大量の情報を突っ込めばよい。それだけ。
そのためには、肉付けが要る。
具体的な問題というのは、例えば目玉焼きの焼き方は、その背景に大量の経験がすでにある。食べ物とは何か、食材とは何か、何故食べるのか、調理とは何か、というようなことは、既に大量の経験によりイメージできる状態になっている。さらに五感に訴えかける部分があり、ここからも大量に情報が入ってくる。
ところが抽象的な世界 (例えば数学やトランプのルールブック) では、イメージを作るための大量の情報を提供してくれはしない。文字の塊。さらには、ストーリー仕立てではなく、ルールの集合でしか無い場合もある。トランプのルールブックを睨むだけではなく、プレイして勝ったり負けたり戦略を練ったりしながら、情報を自分で作らないと意味が分かりづらい。
このように情報を大量に生み出すことができればいいのだが、さもないと、イメージを作れずに頓挫することになるわけだ。
抽象的ならば難しいのではない。大量の情報を組織化できないと分からないというだけだ。
だから、いっぱい情報(経験からでもなんでも良い)を集めて、関連を叩きこめば良い。
TIPS:
・使ってみてどう働くか試してみるのも、肉付けの手法の一つだ。数学であれば、概念の例を自作したり、問題を解いたり、概念を整理したり、別解答を考えたりすることでできる。他の人と問答しても良いだろう。書きながら議論したり、逆に口頭だけでお互いの理解を確かめるように議論するのも良し。その時に自分がどう感じたか、という具体的な情報を落としてはいけない。
・抽象的なことが大量に組織的に分かっていると、あたかも具象的なものを見ているかのような状態になる。
・抽象的なものを理解するために、実体験と結びつける肉付けをし続けるのはいただけない。特に現実世界の比喩で理解し続けるのは長く続けるべきではない。いつまでも抽象的なもののみでの理解をすることができないからだ。抽象的な世界ではどうするべきかを会得するには、「その世界に住んで、何をすべきか分からなければならない。」比喩には射程がある。ある程度以上はうまくは言い表せない。
#私見だが、自然科学系の偉い先生でも数学が本当には分かっていないんだ、と告白されることがあるが、現実の問題を解決するための道具としての数学というところから、離陸されていないのではないかと思う。つまり、自然科学の観点からの理解を捨てられていないと感じた。
・どんなに抽象的であっても、人が作る限り、その背後に意図がある。このように抽象的なものは現実との接点は少ないが、無いわけではない (おそらく殆どの場合には)。
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