哲学に「人生の救い」を求めるのは、筋違いだ 宗教家やカウンセラーとまったく違う理由/中島 義道 @ 東洋経済ONLINE 2016
toyokeizai.net/articles/-/110624
を読んでいてぼんやりと思うたこと。
学問は一般的にはツールでも救いでもない。つまりツールではない、役に立たないものもある。救いをもたらさないものもある。
理由は簡単。
研究者は教育者とは全く違う生き方をしている故。
価値観が違えば選択が異なり、できるものも違うというのはママあることよね。(何故か一緒になることもあるが)
そもそも大体の学問の徒は世俗的価値観(金だの地位だの承認だの安心だの幸福だの)の元で動いていないことが多々ある。
…というよりはむしろ、広義の冒険者、博打打ち、極道のような者がうようよいる。
人生を賭けて好きなこと(ワケノワカラナイコト)をやっているのだから、この言い分は間違ってなかろう。
さらには大体の研究者には師匠がいて、軍隊も真っ青になる縦社会。やる気がないだの悪態をつくだのというのは概ね抹消を意味することも少なくなし。
そんな変な先生は一部だよ、と言いたいかも知れないがそうではない。世間との接点(学部生+修士の学生。博士課程の学生はこの埒外。)では、あまり怖い人が出てきても困るので、(ある程度)擬態しているだけ(のつもり)なんだけれども、結構みんな騙されるので少し面白い。擬態しているマネをしている人、縦深防御のごとく多層の擬態をしている人もいる。これまた見ていて面白い。面白がっている場合じゃないか。
(ぶっちゃけて言うと、世俗的価値だけで新発見ができるというのがおかしい。たまに研究者に擬態してゴッコみたいな研究をしてお茶を濁しているのはハタ迷惑なヤロー&女がいるが、バレていないと思っているのか?! 目を見れば概ね分かるぞwww 部活でやる気のない部員の1億倍迷惑だから何とかしてくれ(-_-))
まあ高校までの「先生」のイメージと内情は異なるというわけ。広くくくればガッコの先生なんだろうけれども、小中高のセンセと比べると、人に救いを与える人の度合いはグッと減る。このあたり随分とみんな騙されていると思う。連中は結構無法者ですよ。言動の端々に出てるでしょ??
しかしながら、応用的な分野は世俗的価値観の一部を基礎にしているので、悪魔的な要素は減る。お医者さんは命を救うという前提があるし(あるよね?)、工学屋さんはすごい仕組みだの便利な仕組みだのが軸となるし(技術の悪用に弱いよね?)、教育や福祉もまた然り。
それに対して、数学哲学政治学のあたりは、トコトンまで考えたいせいか、ギリシャ時代から存在しているせいか(!?)、はっきり言って性格が(世俗的には?)よろしくない。人形の腹を裂き、押してはいけないボタンを押すとどうなるか考え、通常の感覚を踏み越えて一生懸命考えている(?)。
数学では例えば、絶対に解くことができない問題が存在することを証明することがある。「正しいことだが証明は存在しないものがある」…みたいなものをイメージできれば幸い。
まあ、物事の限界を見つけているという意味ではこの手の結果も役立つと言えないこともないが、フツウはこういうのは役に立つとは言わんねぇ。工学屋さんの学会でこういう結果の話をするとものすごく嫌がるものね。
※大好きですよ、工学。
ものすごく優しそうで穏やかな政治学の先生が、とある国のクーデター騒ぎを目の前で見れなかったときの、それは悔しそうなこと悔しそうなこと。あ、擬態が…。
共感だの役に立つだの救われるだのという条件に従っていては、ただでさえ解けない難問はさらに遥か彼方に飛んで行ってしまうので、そんなものに構ってられません。
ああそう、第三者委員会なんかにこの手の分野の人を入れる人は気をつけたほうが良いですよ。ビビッドな意見が飛んできますから。足元から物事ひっくり返される可能性を常に考えたほうが吉。(具体的に書きたいけど書けないのよ…)
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