「学校なんて、役に立たないことばかり教えている」
「学校で教えていることは面白くない」
…じゃあ、役に立つことでも、面白いことでも、勝手に学べばいいじゃん。
#実際、高校までで教えていることは、Classics なんだ。古典だな。
はて、学び取ることとその目的は明白だ。
この先、生きていくこと全体に役に立つように自分を鍛え、知ればよい。それだけだ。
一生積み重なる汎用性のある知識、アイデア、技などを蓄積して自分を鍛え、知を自分の一生を支え生かすものとするだけだ。
詳しくは、以下の通り。
なぜ勉強するべきかなどという教条的でおおざっぱな理屈は特段必要ではない。
(あれば便利なものではあるが、以下のことができていれば自ら編み出せる)
各々にフィットした個人的理由は、以下の能力をある程度以上獲得していれば自然と獲得されてゆくものである。
肝心なのは、
- 知的独立: 自分に必要な知識等を、自力で探し作りまとめられるようになる。知識を咀嚼し解説者や教育者を特段には必要としないようになる
- 「真なる」教養: 広く末永く応用の効く諸分野での鍵となる様々な知識(アイデア、概念、観点、手法、態度、歴史的転換点となる事実 etc. )を我が物とし、陳腐化しない(or陳腐化しづらい)積み重なり続ける知識を大量に獲得(知識は相互連携して初めて役立つ)し、卒業後も同様に学び続ける習慣も獲得する。
- 専攻分野での仔細にわたる専門的知識を得る
- 実務能力・行動力・自己管理を身につける
- 自分、身の回りのこと、社会の動き、この世の中の常というように、この世界と自分の関わり合いを知る
という点だ。
ステータスシンボルとしての卒業証書や学位なんて、これらに比べたらただのオマケだ。
苦労してオマケだけ手に入れるなんて馬鹿げてる。学校は良いように利用すればいい。
学校に引きずられて苦痛を受けるなんて、ナンセンスだ。
広い意味で、技能・知識・経験・習慣・態度を身に着け、どんどん成長するようにすればよい。それだけだ。