■あくまで「雑音」。処理できて当然。
世の中にあふれている、
批判・誤解・嫉妬・無知・愚行・傲慢・卑屈・欺瞞・絶望・羨望・裏切り etc.
から身や心を守ることは必要なことながら、二義的なものに過ぎない。
世間の雑音から自分を守るのに拘泥してはならない。
世の雑音から逃れるの《だけ》がうまくなっても仕方がない。
■たいそうなものじゃないよ。
こんなものはいくらでもそこらに転がっている。
ありふれたもの。
こんなものに躓いてはいけない。
道路を歩くときにある凸凹と大差がないと思えばいい。
たまにすっ転ばされるぐらいだから気にしない。
その程度のものだ。
路面の凸凹に泣き叫んだり、絶望したり、怒り狂ったりしてどうする。
ああ、またか、と思うぐらいで十二分だ。
凸凹なんて超越すべきこと。つまり、問題にしないことだ。
テキトーに処理すればいいことですよ。世間の荒波なんてただの雑音。
■やるべきことを見据える。雑音ごときに潰されないこと
全うなこと、こうあるべきこと、をやる。
こっちが《メイン》。
莫大な熱量(:情熱)でもって、身の回りの世の中にまっとうなものを打ち立てろ。
それに人がついてくるまでには時間がかかることもあるし、
短期的にはうまくいかないことはよくある。
雑音に負けるなんてことの無いように。
というよりは、こういう雑音をバリバリと踏み潰せることに快楽を覚えるべし。
大体、「世間の荒波」はとどのつまり、人の弱さとから生まれる様々なことの集合体である。
特に毀誉褒貶に関するところは多くは雑念の垂れ流しに起因している。雑念とは頭からブツブツと出てくるアレだ。
あってたり間違っていたりでたらめなつぶやきだ。それが世の中に無修正で何の考えもなく出てきているのだ。「世間
の荒波」は意見としては信頼性ゼロである。意に会する必要なし。上手に効率的に踏み潰せ。
#毀誉褒貶に関わらず淡々とやる。
補足:
人の口からこぼれ出る雑音がひどいものであっても、彼らが悪人である、とは限らない。
むしろごく普通の人から雑音は出る。だからあまり攻めたててはいけない。
人の判断はある程度の遅れがあったり、
何度か間違った判断をした後にまっとうなものになったりするのは、
ごく普通のことである。これまた攻めたてても仕方がない。
雑音をいちいち気にしていては、効率が悪くて仕方がない。
どっしりと構えて淡々とやるべきことをやるべし。
#一般に、マイナス要素を平気で乗り越えられるのは非常な強みになる。