金稼いだり、家事したり、壁直したり(?)、書類書いたり…は面倒に見えるけど、反対に、楽しいことばかりになる(orしようとする)、意義あることをひたすらに求めたりすると、ある時点から正味虚しくなって本当に死にたくなったわ。これ私の体験。娯楽や空疎な意義を求めても、そんなに楽しくないよ。
コツコツ世の中を物理的に変化させる(晩飯つくってもいいし、家の修繕をしてもいいし、なんでもいい)のは、何のために何をやっているかわからないような昨今の仕事や遊びに較べて、何よりも生きがいになるね。
#毎日楽しい方が良いって?? そりゃ遊び足りないんだよ(笑
この世の人間全てがくだらなく思えても、地味に生きていくのは楽しい。
別に他人のために何かをしているんじゃない。この世をちょっぴり(物理的に?)変化させることは、多分猛烈に楽しいことなんだ。
やはり、生(せい)に向き合って生きたいんだな。
エンターテイメントも悪くない。
でもやはりそれは調味料であって、食べ物の飾りだ。
露骨なエンターテイメントも、興味深いとか重要だとかいって泊をつけたエンターテイメントとなっているひたすらに趣味的な学問も、やはり生にとっては飾りでしか無い。
お菓子を食べ過ぎているのだ。
生を味わい深いものにする広い意味でのエンターテイメントは、しかし調味料であって食べ物本体ではないのだ。
昨今にどことなくある、ふと感じる安っぽさ、虚しさは、ふりかけばかり食べてご飯をろくに食べていないからではないのか。
#現実のふりかけに罪はありません。ご飯の食べ過ぎに注意しましょう。
毎日晩ごはん作ったり、地味に書類を作り上げて冊子作って飯の種にしたり、倉庫整理したりしているうちに、死にたくはなくなったね。
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