国際化、グローバル化、国際人という言葉が頻繁に目につくけれども、何か的外れな気がしてならない。
語学、外国を知ってる、日本のことを知っている、そんなことは後回し。真っ先に鍛えておくことではない。言葉と価値観について知らずにこんな上っ面から始めても仕方がない。#分かりやすいところばかり目につくのかね。
まずは、
1.「簡明な言葉(・考え)を組み立てることで表す」
もうすこし詳しく言うと、
「日本人同士であれば一言で通じるようなことを、簡明な言葉(・考え)を組み立てることで表す」
言葉を感覚的に使うのではなくて、どの文化をもつ人であっても分かる言葉を組み立てることで表すと言ってもいい。
日本人にとって分かりやすい表現・考え、から抜け出す
言葉は、母国語は感覚的に話されていることが多い。慣れと口癖で母国語を話しているだけだと、意図して言葉を組み立てることができないことがある。
また、短くて感覚に訴えかけるような言葉を使うことは、日本での日常生活ではプラスに働く。クドクドと説明することは避ける傾向がある。しかしこれは簡明な表現を鍛えるという面ではマイナスに働く。
例題: 「普通に美味しい」を簡明な言葉で組み立ててみよ。
#もちろん翻訳しやすいことを前提として。
他、慣用句的表現でも考えてみて欲しい。
日本人に一言で通じるようなこと(慣用句や常套句を考えてみればいい)のすべてに対して、ある他国の便利な表現が存在する訳ではない。
自分の考えていることを噛み砕いて、さらに他の言葉で再構築する力は最低限必要なものだ。
#グローバルな人材という言葉の定義は曖昧だが、これは外せない条件。どの国の人に対してでも何とかなる方法を身に付けるにしても、相手の国の人の考え方を、それぞれの国に対して個別に理解するにしてもだ。証明略。簡単だから略。
さらには、母国で共通の背景知識、認識・常識・感覚・価値観に支えられている。こういうものを前提として話をしても、外国人には通用しない可能性がある。
参考: Google検索
ハイコンテクスト: www.google.co.jp/search?&q=ハイコンテクスト
ローコンテクスト: www.google.co.jp/search?&q=ローコンテクスト
#コンピュータ用語で比喩的に説明するならば、日頃使っている日本語は高級言語だ。それを低級言語で置き換えられて、さらにライブラリを用いないで自力でコードをゴリゴリ書けるようになるべしということ。
#実は私は日本語で考えていない。英語でも中国語でも考えていない。実は頭の中には図形とか積み木が積んであるだけで、それを日英中数学プログラムに翻訳しているのに過ぎない。敬語にでも罵倒にでも変換できる。正確なイメージで考える習慣があればあとは翻訳するだけなので楽ちん??
2. 価値観の組み立てができるようになっておく
サイト内リンク: 価値
前置き: 言動を理解するための価値観
何を良しとして、何を良くないとするか、価値観は各人で違うだけではなく、国をまたぐとずいぶんと異なる。
一つの価値観を共有できている場合には余り気にするところではないが、価値観は言動を左右する。従って他の国の人と関わる場合には価値観のことには鋭敏にならなければならない。
価値観については明示されないものもがほとんどだ。例えば日本人はきっちりしているとか、勤勉であるとか、大まかなことは耳にする。しかし価値観は、返事をするときの口元の様子から、国家の在り方、この世の捉え方まで大小あり、複雑に絡み合っている。
相手の外国人をどう理解するか、外国人が自分をどう見るかという理解にもつながるので、その国の価値観について知る以前に、価値観とは何かについて知っておくべきである。
ここまでの話は、価値観が違う、細かい価値観まで考える、ということだが、組み立ても必要になる。
価値観の組み立て
価値というものは一個人の中で、変動までするものである。例えば仕事をしているときと、遊んでいるときでの、何をするべき、何をするべきでないということを、その感覚と共に思い出してみて欲しい。
つまり価値は状況に応じて変化する。
(#場合分けをしていて、価値観は固定されていると考えても良いが、このサイトではある言動についての善し悪しは状況で変化していくと捉えている。)
各国の人間と接するときに、状況の変化が訪れるは当然で、自分の価値観の各所を変更しなければならないことがある。どのような状況に対して、何をすべきかを導き、そのためにはどのような価値を置くべきか、速やかに変更できなければ、外国人相手の生活はずいぶんとストレスフルなものとなる。
速やかに変更するためには日頃から自分の価値観を整理し理解しておいて、変更された価値観との整合性を保たなければならない。だから、価値観の組み立てが必要なのだ。