例えば、ある数学の公式を学ぶ場合はどうか。
- 数学の公式を覚えて、使えるようになる。
- 解けない問題が解けたりして、役に立つことが分かる。
- でも、
- 一つづつ覚えるのは面倒だし、
- 忘れたら困るし、
- 深い理解をしていないと、なんとなく不安。
- 他で学んだことと関係あるのか??
数学が得意でない学生は、覚えて使えるという辺りで止まりがち。
理解の対象が、「その公式と使い方」自体で止まっている。
[知識] を学んだにすぎない。
理解も進まないし、応用も利かない。
他の知識との関連がないもの。
いま手にしている知識は何だろうという疑問を持って、少し賢くなれる。
何か、というのは、その知識の詳細、その知識はどんな知識の一部なのかということに始まり、
関連する知識を追い求めて、その中で意義深いものを見つけることと捉えて、とりあえずはよいだろう。
#(何とは何か、については、また別の機会に…)
勉強して頭が良くなるというのはこの辺りからと私は実感。
例えば、こんなことも学ぶべし。
- その数学の公式についての知識を探る
- その公式の導き方を知る。
- これはその公式の詳細を知ること。
- その公式の意義を知る。
- 他の数学の知識との関連を整理してみる。
- この2つは、公式が他の知識の中でどういう位置を占めているのかを知ること。
- その公式をどう理解したか反省する。
- その公式をどう使ったか反省する。
- この2つは、公式の使い方の部分での詳細を知ること。
- その公式の導き方を知る。
この辺りまで気にする学生は、ある程度の自学自習ができる。
知識をある程度自分で操作することになり、応用も効いてくる。
知識同士の相互関連からくる相乗効果の恩恵も受けられるようになってくる。
ある程度人に教えることもできるだろう。
ここまでで、
[知識の知識] を扱い、学んだことになる。
一段目のメタ知識を得たわけだ。
公式についてははっきりしてきているだろうけれども、
公式を理解するために使った知識や概念については何となく分かっている状態だ。
勉強法やライフハックはだいたいこの辺り止まり。
もちろん、この先もある。
[知識の知識の知識] を扱う
つまり、ここでの例で言うと、
- 公式とは何か
- 公式の導くのはなぜだ
- 数学とは何か
- 知識とは何か
- 詳細を知るとは何だ
- ある知識が他の知識の中でどういう位置を占める、とは何か。
- 意義とは何だ。
- 他の知識との関連とは何だ。
- 整理するとは何か。
- 理解とは何か。
- 反省とは何か。
どんどん抽象的になってきていると同時に、
知識の一般性が上がっていって、他に応用が効きそうだということが分かるだろう。
応用が効きそうどころか、その知識は数学をはみ出すほどに広く適用できることが分かるはず。
だんだんと、考えること、理解すること、という事自体が分かってくるようになる。
ただし、抽象的な知識は、具体的に使おうとするとイッパイいるので、
根気良く貯めること。
例えば、
数学の公式の意義とは何か
をすっきり理解しようとすると、
数学とは何か、公式とは何か、意義とは何か、何とは何か、とはとは何か
について知っていなければならないよね。
[知識の知識の知識の知識] を扱う
もあるけれども、割愛。何が来るか考えてみて下さいな。
Similar Posts:
- 【時事関連】【学習】ほとんどのニュースは実は古臭い。というよりはそう思えるようにならないと。
- 【知識論】【言語技術】【教育】分かりやすさこそが至高、は視野狭窄。
- 【知識】【思考】知識や考えることが、役に立たない理由→大雑把、根負け、知識が少ない、具体的なことに偏重 etc.
- 【知識】常識的に分かりやすいものとは何か=時間・空間・人間関係+目的など、日常的に接しているもの
- 【知識】正しいこと以外も知っておく→誤答、疑問、単語…