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【教育】形だけの卒業・合格を与えて何をするものぞ

要約:

  • 形だけの卒業・合格はいらない
  • 卒業・合格とは、その能力に応じた「看板」である
  • 形だけの卒業・合格は、詐欺行為である
  • 形だけの卒業・合格は、後々の無理につながる
  • 補足: 形だけの卒業・合格から生じる無理を、小手先のやる気の引き出しの技術でカバーするのはただの次善策でしかない


■形だけの卒業・合格はいらない

形だけの卒業を与えて何をするものぞと思う。我が国は全員大学院修士課程を卒業していますといっても、その大半が良くできる学部生以下というのであれば意味がない。小中高大大学院という軸と、上位校下位校という軸があるのはいいとしても、上位校の中学生にコールド負けするような下位校の大学院生がいても仕方がない。

 

■卒業・合格とは、その能力に応じた「看板」である

ある程度の実力差があれ、小学校を卒業した人間はこういうことができる、高校を卒業していればこういう資質は身についている、ということをしっかり規定するべき。伝え聞いた話だが、高校の底辺校では苦労して中学の簡単な問題をいかにしてプライドを傷つけずに教えるか腐心し、ある程度頑張った生徒に点数を出したりするという。こんなことをして何になるのか。学校は面子を守るよりも、実力を与え、十分に力を持つものには太鼓判を押して、この学生はこれこれこういう力を持っていますという看板をあげさせるべし。

 

■形だけの卒業・合格は、詐欺行為である

煙草の箱には、普通20本の煙草が入っている。煙草売りがもし12本しか入れずに、同じ価格で売るとしたらそれは詐欺だろう。同じことだ。多少品質の差があってもまだ理解されようが、こんな劣化は許されないだろう。三段論法が使えない、高校の数学をろくに使えないような修士の学生がいて良いのか。どんな理由があれこれは間違っている。

 

■形だけの卒業・合格は、後々の無理につながる

科目単位の合格、学校の卒業は、この人は何ができます、という分かりやすい「必要条件」であるべきだ。科目単位の合格を例のとるのであれば、一年次の基礎科目を終わりました、ということはそれは復習なしに二年次の科目が学べる基礎を持っていることを意味しなければならない。基礎から発展の問題に至る教科があるのならば、それらは口金のあった一群のパイプのようでなければならない。合格は最低限こういうことができるということであり、次のレベルの教科を始めるのに十分な力があることを保証しなければならない。さもなければ、次のパイプが無理をする羽目になる。

 

▲補足: 形だけの卒業・合格から生じる無理を、小手先のやる気の引き出しの技術でカバーするのはただの次善策でしかない

やる気を引き出すことに対する盲信を振り払えといいたい。

特に、

前段階の学習がまともに出来ていない生徒・学生の学習を進めるために、小手先のやる気を引き起こさせる様々な工夫でなんとかしようとすることがさも良いことのように語られる

ということを否定すべきだ。

こう言うと、ここで挙げた科目単位の合格などは、現行の体制の中では難しい、という意見が返ってくることがある。そんなことは分かっている。しかし少なくとも、このような到達点を目指さなければならないということを認識し、無理矢理やる気を引き出すのはしかたなくやっていることで、自慢するようなことでは決してないのだ。

#自分がやっていることの全体像からの認識を常に持つべし。
#よりよい手段をとるための基礎中の基礎だ。

学習の問題でも、苦手教科の問題でもない、一般的な問題を解決せずに、勉強のデスマーチ(破滅的の状況での進行)をするのはいい加減に辞めないか。頭使って解決しようとしていないだろ、これ。家庭教育に属する問題だから、タッチできないというのはあるかもしれないけどだな。
やる気むりやり引き出している時点で、構造的問題だろう。
教育の構造的問題というその前提をもって、次善の策としてやる気を引き出すというスタンスをもつべき。

 

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