【教育】教員としては教えづらい、いじめを防ぐ極意

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教員側・保護者側のいじめ対策も必要だが、何よりもいじめを防ぐ方法本人が身につけることが大切。なぜならば、この手のことは大人になっても必要なことだからだ。

 

危機意識、つまり覚悟と準備ある自己防衛が無い限り、いじめはなくならない。

■平和の前に安全

平和をもたらすのは難しい。国同士の外交であれ、ちまたの人間関係であれ、まず自分をいろんな意味で守ることが先決だ。ここでは「安全」を確保するといっておこう。

現代日本は安全すぎて、つい平和に目が向くかもしれないが、それは間違っている。まず安全

よほど小さな子でもない限り、世の中には、でたらめな国、集団、人がいるか、なんていうのは言うまでもない分かり切ったことだろう。それにも関わらず安全に無関心な人が多すぎる。平和ボケして大した条件もなく相手がいい人だと仮定する人なんかは、安全というものをまったく理解していないのだろう。

安全を守るためには、もしもに備えなければならない。安全を守るためには、一番の脅威と損害についてまず考える。命の危険はないか、盗まれないか、壊されないか、犯されないか。この辺りから始め、むちゃくちゃなこと言われないか、ということまでしっかり見張っておき対策を練っておく。

そんなこと起こらないよ、考える必要がないよ、という心持ちをもつと失敗する。こんな考えは論外。

安全を守るためには、それが低空飛行であるべきではない。安全を高いレベルで守るべきだ。つまり、むちゃくちゃなことを言わせないことまで視野に入れ、危機を未然に防ぐことである。

 

■早期対処: 好き勝手言わせない

いじめられないための方法を知っているか。それは、まず相手に好き勝手言わせないことである。最低限の人間関係として、暴言を吐かせないことである。そして、手を出されたら、こっぴどい目にあわせる。最終手段として、命を賭して戦う覚悟があって、かつそれを実践するように準備できていることである。

この最後のところまで考えているかは、重要な点である。どこまでも考慮に入っているからこそ人は恐ろしいのである。

 

■いじめる側は時間を費やして虐めているのだ
■守る側にももちろんそれは必要だ

揉め事の無い日常だけを見て、相手を傷つけるような野蛮な手段を鍛えるなんてただの喧嘩好きで、良くないことというような考えが広まっているように感じる。しかしいじめる側というのは、時間や力をわざわざ費やしていじめているわけである。それに対抗・凌駕するためには、こちらも時間と力を費やして対処しなければならないわけである。事前策にしろ事後策にしろそれは変わらない。

苦しい目に合わされて何も言わない、などというのは二重に間違っている。苦しい目に合わされているという段階で、もう二枚目の壁が破られているのである。

 

■相手と同じレベルにいなければならない

平常、言葉の上での揉め事、実害(金銭時間など)、障害、命にかかわる問題、で同じレベルにいなければならない。

金をゆすり取られているときに、平常の会話をしようと努力するのはばかげている。命が危険にさらされているときに、金銭や時間について考えても仕方が無い

例示すると、相手が刃物を持った二人組みである場合、過剰防衛で刑務所行きになることを恐れると、これは時間・金銭・地位のレベルに拘っていることになる。この場合殺してでも自分を守らなければならない。

虐める方は、相手がより平時・平和な状態に固執するところにつけ込むわけである。譲歩の必要はない。共倒れする覚悟が無くてどうしてやり合えるのか。

 

安全というのは大事をとって動かなければ得られないため、命とその他の利益を天秤にかけてはならない。(もちろんある程度の判断はしなければならない。ただの口論で包丁を振り回しても仕方が無い。)

逆手に取れば、相手を抑止するためにひとつ危険なレベルに進むという手もあるが、これは互いに危険な方向に進んだ場合に殺し合いとなる。

いじめたかりなどは、このレベル差から生じる。

浮きたくないハブられたくないなんてぬるいこといってる人は論外。
例え一人でも何とか(広義・狭義の意味で)「戦う」こと。

 

■何よりも

危害を加えた者をただでは帰さないことである。

世間のお題目の倫理や規定はどうでもいい。それは建前でしかない。

従って、この極意は現場の教員からその生徒に伝えられることはない。

 

■補足事項-早期治療が効く。予防も可。

孤立している、もしくは集団の規模が小さい場合にはいじめられやすい。数の暴力に対応するためには、圧倒的な力を持つか、相手の組織的行動を止める手段を持つか、こちらも数をそろえるか、防御・回避行動をとる必要がある。

どれも準備に時間がかかるか、一時的な効果しか持たない。力を持つには準備が要る。組織的行動を止めるには日常的に身の回りの人の動きを知りそれを動かす方法を知る必要がある。

自分を取り巻く堅実な集団の形成には時間がかかる。自分を取り巻くすぐ近くはテキトウな知り合いでは意味がない。内側からいじめの発生しないようなまともな知り合いがある程度そろうとなると、年単位の時間がかかる。ここでも時間がかかる。

 

例外として警察などの公権力の支援を得ることもできるが、グレーゾーンの事件などには介入しないので、いじめの回避にはなりづらい。お上は補助。やるのは本人というのはここでも肝に銘じるべきコトだ。

いろいろ書いたが、その他いかなる種類の防御・回避行動もある程度の訓練と心がけが必要になる。

 

つまり、準備しておくべしということである。

 

効率の良いいじめ回避は、初期段階での治療である。つまり、勝手なことを言わせないことになる。相手が手間隙をかけた分だけ、こちらも対処することに手間隙がかかる。好き勝手なことを言う人間を放置するのは、病気を知ってて放置するのと変わらない。

私自身、言葉を牽制として使うのには気が引けるが、馬鹿を黙らせるためには仕方がない。これはやむ無しだ。ちょっと大口たたくぐらいで、慎ましやかにしているよりは結構関係はマシになる。(子供の頃から再三実験済み)

 

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