分かりやすく書く技術、というようなタイトルの本や記事はゴマンとある。私もたくさん目を通したけれども、考えることと書くことについて、整理がされている本にはお目にかからない。
#書くことと考えることはオーバーラップする部分が結構あるが、分けて考えられるべき。
非常に大きく分けると、
- 考えるために書く – 書くことで考える
- 考えたことを書く – 考えの表現
の2つがある。
作文で書いているうちにワケがわからなくなるのは、書きながら考えていて、表現されていない、整理されていないものが出来上がったからだ。
このワケのわからないものは、決して悪いものではない。色々な考えなどを生み出すためには有用な方法だ。でも、他人に見せられるたぐいのものじゃない。自分の頭の中身をぶちまける作業の結果だから、人に見せる場合には整理してあげないといけない。(まずは自分にわかるようにするところからはじめなければならない!!)
しっかり考えて書くことを是とする私は、書く・考えることについては、4つに分けることにしている。
探索、証明、体系化、説明
だ。
- 探索: アイデアを生成しながら、答えを探してゆく部分。ある意味「楽屋裏」といえる部分なので、隠してしまうこともある。
- 証明: 論理を用いて検証してゆく部分。
- 体系化: 簡単な整理で済まない巨大なものを対象に使う。どこにどのような知識を配置し、分類整理し、相互の関係を作り、ひとつのシステムとして機能するように構成するための部分。
- 説明: 人間が美味しく食べられるようにする部分。説得なども含む。
分かりやすく書く技術、についての説明では、これらが一緒くたになって説明されていることがほとんどに感じる。
#これら4点は、相互に関係する。また、ひとつの部分が複数の役割を果たすこともある。例えば、(演繹的な)論理に従って論を進めてゆけば、次々に知 識が生まれ、そのそれぞれの知識は論理による検証がなされているものとなる。物によっては、説明的にも優れたものが生じることもある。
これら4つを分ける理由がある。目的に応じて、これらを取捨選択したり、重点のバランスを考えたりすることが用意になるという点だ。また、自分で書いたものでどの部分が不足しているか、弱いか、ということが分かりやすくもなる。
例えば、直感に訴えかけるような文章を作りたければ、証明となる部分を省いてしまえばよい。逆に一連の知識が正しいものかを検証する文章では、説明の部分を(ある程度)犠牲にすることもある。また、機能的なもの-マニュアルなど-を作るときには、探索と検証を抑え、体系化をしっかりとし、人間が読むところでの効率をある程度上げる-説明の部位も重視するとよいだろう。
ちなみに、数学の解答などでもこの考えは使える。文章であることに変わりはないのだから当然だ。例えば、連立方程式にはいくつか解法がある(加減法など)。これは答えを見つける部分だ。途中経過の計算は、証明に当たる。計算は論理の連鎖であるから、これは当然のこと。可読性を上げるための言い回しがあることもご存知だろう。
#私見: 数学の本は答えを探すことと、答えの正しさを検証することをはっきりと分けるべき。
会話においてもこの考えは使うことができる。
サイト内リンク: 質問されて、正解が出ないで固まってしまうのはなぜか?
のようなときにも、答えを探すのか、(単に答えを言うのか)、答えの正しさを言うのか、言ったことを分かりやすく説明するのか、これらを意識するだけでも随分ことがスムーズに運ぶはずだ。
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